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賢者は歴史に学ぶ「リーマンショック」



今回はリーマンショックを振り返ります。


「リーマンショック」とは、2008年に米大手投資銀行リーマンブラザーズが破綻したことが引き金となり、世界中に連鎖する金融パニックの事です


当時の米国経済は、2001年の米国同時多発テロやITバブル崩壊の影響を受けて低金利政策を続けていました。その結果、高い利回りを求めて大量の資金が不動産市場に流れ込みます。

住宅ローン会社は上がり続ける住宅価格を横目に、本来は自宅を持てない低所得者にまでお金を貸し付けます。もし返済が滞れば、担保物件を売却して資金を回収すればよいと考えていたからです。


その低所得者向け住宅ローンのことを「サブプライムローン」と呼びます


当時の米国では低所得者や無職の人でも簡単にローンを組んで家を買える時代でした。米国住宅ローン市場の規模は1,500兆円近くにまで膨れ上がります。サブプライムローンは、その内の20%以上を占めていたといわれています。


米国にはサブプライムローンに関連するビジネスが数多く存在していた


投資銀行は住宅ローン会社からサブプライムローンを購入して、ほかの金融商品と混ぜ合わせてパッケージに作り替えます。それを買い取った証券会社が顧客に転売します。

また、この金融商品には格付け会社から最高品質(AAA)が保障され、破産保険(CDS)もありました。(※パッケージとはCDO:債務担保証券などです)


米国住宅市場が2007年から下がり始めた


1980年代の日本の不動産バブルも同じ構図ですが、米国でも営業利益を追求する金融機関は住宅ローンビジネスに傾斜していきます。そして膨張した住宅市場は2007年から一転下落に転じます。

担保物件を売却しても融資残高を回収できない金融機関が続出しました。本格的な住宅バブル崩壊の始まりです。


リーマンブラザーズには公的資金が入らず


リーマンブラザーズが破綻する半年前に米証券大手ベア・スターンズが経営危機に陥りました。 その時は、FRB(連邦準備理事会)が救済します。多くの市場関係者が危機に瀕したリーマンブラザーズ に米国政府が手を差し伸べると考えていました。

しかし米国政府やFRBによる救済が見送られたことで買収を申し出る金融機関は現れませんでした。


リーマンブラザーズが破綻した


NYダウ平均は2007年10月をピークに下落が続いており、市場関係者は夜も眠れない日々を過ごしていました。そして、サブプライムローンに注力していたリーマンブラザーズが2008年9月15日に倒産します。その負債総額6,000億ドルは米国の歴史上、最大規模の倒産です。

連鎖倒産を恐れた金融機関は不動産や株式など保有している資産の現金化を急ぎます。そして、世界中の金融資産が暴落します。その影響は日本にも及びました。

2007年7月18,000円を超えていた日経平均株価も2008年10月に7,000円近くにまで暴落します。米国発の世界同時株安に世界中が震え上がりました。


生き残りをかけた金融機関の再編が始まった


リーマンブラザーズが破綻した日、私が以前勤めていた米大手証券会社メリルリンチも米投資銀行バンク・オブ・アメリカに買収されます。当時、メリルリンチはリーマンブラザーズを救済する側で交渉にあたっており、逆に銀行に買収されたことを知り、私も衝撃を受けました。

その後も世界的な保険会社AIGグループの株価が1ドルまで暴落するなど政府の救済がないと連鎖倒産が止められない状況にまで追い込まれます。


遅すぎた救済劇


リーマンブラザーズには手を差し伸べなかったFRB(連邦準備理事会)も重い腰を上げます。ニューヨーク州知事の要請を受けて保険会社AIGグループに850億ドルの緊急融資を決定します。

金融機関の再編劇が一旦落ち着きを取り戻しますが、世界的な株価の下落はまだ続いていました。


ドル安・円高が加速した


日本への影響は軽微であると考えられていましたが、大和生命保険が破綻し農林中央金庫が大幅な評価損を計上します。 日本企業に深刻な影響を及ぼしたのはドル安・円高の加速です。100年に一度といわれる世界恐慌の発信地が米国だったことから米ドル通貨の信認が揺るぎます。

2007年6月に1ドル124円だった為替レートは、2008年12月に1ドル90円を割り込みます。輸出企業には大打撃でした。


世界の枠組みが変わる


2019年6月に日本で初めて開催された「G20大阪サミット」は、リーマンショックがきっかけで始まった20カ国首脳会談です。それまでのG7(先進七カ国)だけでは、グローバル化した世界経済を制御できなくなってきたからです。


おわりに


リーマンショックは米国の低金利政策が原因であったといわれています。金利の引き締めが遅すぎたとの認識でしょう。

そのため、各国中央銀行は政府から独立した立場で金融政策を行い、有事に備えて他国との連携を深めることが重要です。折を見て歴史を検証することで、将来に備えたいと考えます。
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